「日本のロックの原点」【1960年後半~1970年後半】~「読むJ-POP」を読んで~

公開日: : 最終更新日:2015/03/08 自分との対談(日記), 音楽 , , , , ,

「読むJ-POP」田家秀樹著(朝日新聞社)【2004年】を読んで、1960年後半~1970年後半のロックの歴史をまとめてみました。(面白いので、お勧めです)

JPOP

GSブームから終焉へ

1960年代後半にかけて、タイガース、スパイダース、ブルー・コメッツなどのグループが活躍した。そもそも、なぜこのような現象が起きたのか。それは、当時全世界で絶大な人気を得ていた、ビートルズが影響しているようだ。

ビートルズが、なぜこれほどまでに人気を得たのか。それは、バンドスタイルの確立である。ビートルズ以前のバンドといえば、ベンチャーズがいたが、彼らには歌がなかった。しかし、ビートルズは、演奏だけでなく、自らで曲を作り歌っていた。

こんなことからビートルズのようなバンドとして日本でも、GSが人気を得たのだろう。

GSの特徴としては、

  • 単調なスリーコードの音楽ではなかったこと。
  • 8ビートを基礎にして、ベースとドラムを前に出すようなミキシング。リズムを強調した音楽だったこと。
  • マスコミを意識したアクションやファッション。ビジュアル性、アイドル性が強かったこと。
  • 従来のレコード会社の専属作家制や作曲家が内弟子を取るという師弟関係フリー作家の分業制が広まったことがあげられる。GSは、洋楽ではなく日本の大衆ポップスの分野で、初めて脚光を浴びたバンド音楽だったのだ。

しかし、そんなGSも陰りがみえてくる。1969年学生運動の敗北とともにGSは影響力を失う。『ファンも見放した?もうGSはパンク寸前。』そんな見出しの「週刊平凡」では崩壊寸前のGSシーンを特集していたそうだ。

また、GSの人気が無くなった要因として、プロダクションによる粗製乱造もあげられる。

そんな中でも、GSからロックへと方向転換を図ろうとしていた、ゴールデン・カップス、モップスといったバンドがある。カップスは、ヒット曲中心の行き方から自分たちの好きなブルースに根ざした音楽をやり始めた。モップスは、GSの枠を超えて吉田拓郎の「たどり着いたらいつも雨降り」や「月光仮面」などのオリジナルを歌っていた。また、内田裕也が率いていたフラワーズ、山口富士夫がいたダイナマイツらもGSの流れから抜け出そうと模索していた。

もう一つ、1969年にデビューしたエイプリル・フールがいる。彼らの曲は、サイケデリック・ロックとプログレッシブ・ロックを融合したようなアーティスティックなもので、GSの領域をはるかに超えていた。しかし、このグループはわずか一枚のアルバムで解散した。その後、そのグループのメンバーだった細野晴臣と松本隆と組んで新しいバンド、“ばれんたいん・ぶるう”を始める。これが後の『はっぴいえんど』となる。

日本人による、日本語派ロックと英語派ロック

このグループはそうそうたるメンバーだった。ベースは、細野晴臣。YMOのメンバーとしても有名である。ボーカルとギターは、大瀧詠一。後にロングバケーションが大ヒットする。リードギターとボーカルが鈴木茂。日本のスタジオミュージシャンの第一人者である。そしてドラムが松本隆。

このバンドが、画期的だった理由は、

  • 全曲、詞が日本語。
  • 精密なコード構成、ハーモニー。
  • 録音技術を含めた音の厚み。
  • アルバムデザインまで統一されたイメージのトータリティ。

である。

『はっぴいえんど』の活動はたったの三年だった。しかし彼らは、現役時代はあまり評価されずに、解散してからは、評価が高まった。

『はっぴいえんど』が日本語派ロックの筆頭だったのに対して、英語派ロックの先陣を切っていたのが、1969年にデビューした内田裕也がいたフラワー・トラベリン・バンドだった。彼らの功績としては、海外という舞台で実績を残したという点だそうな。

万博でカナダのトップバンド、ライトハウスと共演し彼らに誘われる形でカナダに渡った。初めのうちは、生活にも困るという状況だったが、日本とカナダ両方で発売したアルバム「SATORI」が向こうのアルバムチャートの8位にランクインされるという成果を収めている。

フラワー・トラベリン・バンドは1973年1月に来日する予定だったローリング・ストーンズのオープニングアクトが決まっていた。それがクリスマスの夜に突然発表された入国不許可の知らせで水泡に帰してしまう。そんな日本の状況に幻滅をおぼえた彼らは、四月に解散してしまう。

その他にも、ロンドンでの高く評価された、サディスティック・ミカ・バンドというバンドがある。

https://www.youtube.com/watch?v=sDBzazBvVWo

フォーク・クルセダーズのメンバーだった加藤和彦は自分の妻である加藤ミカらとサディスティック・ミカ・バンドを結成する。1974年彼らのファーストアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」がイギリスで発売された。きっかけはイギリスの若手ナンバーワン・プロデューサーのクリス・トーマスに認められたからだ。このアルバムはイギリスの音楽史「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」でシカゴやマイケルジャクソンと同じページで、しかも彼らよりも大きいスペースで紹介されるという破格の扱いを受けた。

さらに同年夏、彼らのセカンドアルバム「黒船」がトーマスプロデュースでレコーディングされ、日本発売に先立ってまずイギリスで発売された。そのような経緯から当時最も勢いがあったロキシー・ミュージックと全英ツアーを行うという快挙を残している。しかしその直後に加藤和彦とミカが離婚してしまい解散してしまった。

1972年「ルイジアンナ」というアルバムで矢沢永吉、率いるキャロルというバンドがデビューする。翌年に発売された「ファンキーモンキーベイビー」は、『はっぴいえんど』とは違った意味での日本語によるロックの答えとなった。ロックンロールの原点ともいえる8ビートのテンポ感とカタカナ英語の大衆性。革ジャンリーゼント、バイクというファッション。

キャロルは、横浜のディスコなどでライブをやっていたメンバーが集まって出来たバンド。そのとき矢沢永吉は23歳だった。広島の高校を卒業して、翌日、卒業証書を破りすてて夜行列車に飛び乗り、横浜で降りて、住み込みで働きながらバンドをはじめた。後に「成り上がりに」つながるこういったサクセスストーリーも魅力の一つだ。

そんなキャロルも、1975年4月13日日比谷野外音楽堂において解散した。その後、矢沢永吉はソロとして活躍する。

このキャロルが解散した年にシングルチャートのベスト20位以内に2曲(7位“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”15位“スモーキンブギ”)送り込んだバンド、ダウンタウン・ブギウギ・バンドがいる。彼らはこの時代に唯一茶の間に認知されたバンドだった。

 終わりに

GSが終息してロックが世間に認知されるようになるにはまだまだ時間がかかる。サディスティック・ミカ・バンドのように海外で人気を得ても日本であまり人気にならなかったのは時代の一歩先をいっていたからなのだろう。だから、彼らの音楽は今、聴いても何の違和感もない。(実際、サディスティック・ミカ・バンドは2006年に、木村カエラをボーカルに据えて、再結成し人気を得た。)この時代にロックをやっている人たちの苦労は相当なものなのだろう。自分たちのやりたい音楽が世間に伝わらないのだから。

その他にも、この時代のロックバンドで頭脳警察や、RCサクセションなんかのこともまとめたかったのだが、暇なときにでも。

おわり

 

その他参考にしたもの。

 

「坂崎幸之助のJ‐POPスクール」坂崎幸之助著(岩波書店)2003年

「フォーク名曲事典300曲 ~バラが咲いたから悪女までの誕生秘話~」 (ヤマハミュージックメディア) 2007年

 


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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