「読書会は、素晴らしき本たちとの出会いである~交換読書会を行っての感想をまとめてみた。その1~」

公開日: : 最終更新日:2015/06/12 自分との対談(日記), 雑記 , , , ,

先日の3月14日に、僕が主催している「交換読書会」というものを久しぶりに行ったんですけど、そのときに紹介してくれた方々のお話を聞いてということで、感想をまとめてみました。

交換読書会」のサイトのほうにもほぼ同じものを載せてありますが、こっちには全て1ページにしてまとめてみました。

 

「徘徊タクシー」 著:坂口恭平(新潮社)紹介してくれた方、“くみさん”のお話を聞いて。

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この本は、一ヶ月ほど前に私も読んだことがある本だった。そのため、読んだことのない本についての紹介と、違った新鮮さがあった。「私だったらこんなふうに紹介できない」「同じような感想だ」「そういった考え方があったのか」などと。

このように、課題本のある読書会では、知識の共有及び向上がもたらされるのだろう。課題本の魅力を強く感じた経験でもあった。

くみさんが、この本で印象に残った言葉としてあげていたのが、『二十一世紀の福祉の鍵は「介護」ではなく「新しい知覚」です』という箇所。ここで、この本のストーリーを引用しよう。

人間はつい目の前の現実を世界のすべてだと思ってしまう。でも、実はそうじゃない! 祖父危篤の知らせに故郷の熊本に戻った僕は、認知症の曾祖母と再会。彼女に導かれるように出かけたドライブで、徘徊老人を乗せて時空を旅するタクシー会社を思いつく。この世にボケ老人なんていない。彼らは記憶の地図をもとに歩いているだけなんだ。AMAZONより

認知症、俗語としては「ボケ老人」。こんな言われ方をしていることから鑑みても現代社会、とりわけ家族という共同体から考えるとただの邪魔者でしかない。なぜ、邪魔者か。それは、圧倒的なマイノリティであるからだ。そのマイノリティとは、私たちの常識から逸脱し、普通だったら通じるはずの会話が成り立たない存在だからだ。

メディアなどを通して聞く例としては、“朝食を食べたのに、まだ食べてない”と言ってみたり、“息子や孫の名前を覚えられなかったり”ということがあげられる。だから、認知症の人は邪魔者扱いされる。だが、くみさんの言葉をかりれば、“目の前にみえている光景が全てではない”。認知症といってもその人がみている景色があるはずだ。

みえている景色は、私たちの常識から逸脱しているかもしれない。だが、その人の中では事実であり、かけがえのない美しい景色なのだ。

時計が刻む時間は一定で、決して過去へと遡ることはできないが、人の心の中では様々なところへ旅をすることが出来る。常識という日常に追われている私たちは、旅をするための切符をもらう方法を忘れてしまっている。常識というものにとらわれない認知症のかたは、自由に旅をすることの出来る切符を持っている。

その手助けをしてくれるのが「徘徊タクシー」という着想であり、それを軸にして展開されていく、この本の面白さだ。

紹介して下さったくみさんのお話を聞きそのように感じた。

ちなみに、著者は物凄く変わっていて面白い。

「フランス人は10着しか服を持たない パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣」著:ジェニファー・L・スコット 訳:神崎 朗子(大和書房)紹介してくれた方、“ぶんさん”のお話を聞いて

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フランスといえばと聞かれたら、私だったら

・人物といえば、

“リュミエール兄弟(映画を発明した人)”、“ジャンリュック・ゴダール(映画監督)”“ロベール・ブレッソン(映画監督)”“ジダン(サッカー選手)”

・見た目や性格的なことでいえば、

“オシャレ”“プライドが高い”“英語が話せるのにあえてフランス語を使う”

などのことが思いつく。

とりわけ、“見た目や性格的なことは”、人づてに聞いた話や、映画やネットなどのメディアを通じて得た情報である。つまり、誰かを通して得たものであり、私の体験から知ったものではない。

この本では、アメリカ出身の著者がフランスに留学し貴族の末裔の家へホームステイした経験をもとにして書かれている。そこで、著者はカルチャーショックを受けたようだ。たとえば、タイトルにもなっている“服を10着しか持たない”ということ。

この本を紹介してくれたぶんさんもこの部分に感銘を受けて、読み終わった後は自分のクローゼットを開け、着ない服を処分したそうだ。

ここで、本の帯を引用しよう。

高級料理を食べて、たくさん買い物をして、あちこち旅行をしても心からの満足を感じられないあなたへ。

こう綴られている。

別に不幸ではないけど、なんか足りないということがあるだろう。普段のライフスタイルを変えることがそれを解決するヒントになるのかもしれない。

ぶんさんがあげていた、“間食をすることをやめる”というライフスタイルのチェンジ。これが何をもたらすかというと、夕食をより美味しく感じられるということだそうだ。

冷静に考えれば当たり前なことだが、中々できないのが現実だ。それを出来る勇気があれば、新しい満足を味わうことが出来るのだろう。いたってシンプルなことだ。

シンプルといえば、私が好きな映画監督であるロベール・ブレッソン(冒頭にあげた人)。この監督は、ヌーヴェルバークの連中に多大なる影響を与えたとされる人物。映画作りにおいて徹底的にシンプルを貫いた。俳優に余計な演技をさせない、しかもその俳優は全員素人を使用。無駄なシーンの排除。それらは徹底的に計画されて設計されている。観ていると美しい。

シンプルは脆さもあるので、何かを付け加え装飾し着飾りたくなるが、それをやめる勇気と行動力があれば、個性的な美がもたらされる可能性があるのだろう。

「愛がいない部屋」著:石田 衣良(集英社文庫)紹介してくれた、“S.Sさん”のお話を聞いて。

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「タイトルをみて、“いない”って?ひっかかりませんか?」この本を紹介してくれたSさんの言葉だ。確かにそうだ。

昨日AMAZONから届いた、この本を手に取りその謎を解くために目次を眺めている。この作品はオムニバス形式で、愛に関するショートストーリーが10作品詰め込まれている。その中の一つが、「愛がいない部屋」というタイトルだ。

なるほど、これがタイトルになっているのか。短編集などでよくあるパターンだが、Sさんの話を聞くと、すべてのストーリーにこの「愛がいない部屋」というのが当てはまるようだ。謎は、ますます深まるばかりである。
本の帯にはこう書かれている。

どうして愛はいつも、悲しみに変わるんだろう。DV、セックスレス、不倫。切なく胸を締め付ける恋に、光は射すのか―――。大人の思いの形を描いた、ショートストーリー集。

ひとつ、気になる部分がある。「切なく締め付ける“恋”に」というところだ。この“恋”という言葉。なぜ、ここで“愛”という言葉を使わないのだろうか。“愛”に変えてみても十分に意味は通じる。
ここで、松山千春の「恋」を張り付けておこう。(福山雅治のカヴァーVer.)

この歌は、“愛することに疲れたみたい”で始まり、“それでも恋は恋”という言葉で終わる。

では、“愛”と“恋”の違いはなんだろうか。

愛は、“その人のことを十分に理解し、この人のためだったら命を捨ててでも”と思えることで、恋はそうなる前の、“どんな人なのだろうかという興味がありすぎて頭から離れない”というとき。だから、愛のほうが重たい。エネルギーの度合いが違う。それ故に、愛が崩れたときは壮大な痛みを伴う。こんな風に考えてみたが、全くもってしっくりこない。“愛”という謎は深まるばかりだ。

「鹿男あをによし」著:万城目学(幻冬舎文庫)紹介してくれた、“Y.Tさん”のお話を聞いて。

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今回の交換読書会で紹介してくれた本は全て購入して、「鹿男あをによし」については、この文章を書く前に読み終えることができたので、少しばかり、ストーリーを踏まえて書くことが出来るだろう。(結果的にはあまり踏まえていなかった・・・・)

読書会で、鹿男!?タイトルを聞いて、「ザ・フライ」(デヴィッド・クローネンバーグ監督)のように、それはおぞましい僕好みの、ホラーかと期待していた。

だが、違った。全くもって違った。

ディズニー作品を観ているかのような、神話的な匂い、ハラハラするような活劇、そして、可愛らしい恋。そんなものが凝縮されていた。その密度は濃厚で、一度読み始めたら、本を閉じることが出来ず一気にページをめくって、気付いたら終わっていた。

紹介してくれた、Tさんは、この物語の舞台、奈良(平城宮跡)へ実際に行ったことがあるそうだ。つまり、聖地巡礼ってやつだ。なんともうらやましい限りである。

聖地巡礼で思いつく作品がある。大林宣彦監督の尾道三部作と呼ばれる「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」だ。少々、古い作品なのだが、これらを観ていると、どうしてもそこに行ってみたくなる。そしてそこで思いを馳せたくなる。これらは、映画なので、その聖地(ロケ地)のイメージは目で見た映像として記憶されている。実際にその場に行ったら、「そうそう、ここがあの場所だ」というように、頭に残っている映像と確認し納得することが出来るだろう。それが、目で見た映像ではなく、文字から想像した映像だったらより感動的に、もしかしたらガッカリすることだってあるはずだ。それはそれで楽しそうだ。

小説を読み終えるとは、最後のページまで本を読んだから終わりだと一概に言えない気がする。“物語を人に話して終わり”“本をだれかにあげて一緒にその内容について語って終わり”“毎年かならず1回、死ぬまで読み続けて、死んだら終わり”そして、“物語の舞台になっている場所に行って終わり”様々な完結の仕方があると思う。

こうやって、書けば書くほど、奈良に行きたくなってきた。そして、鹿せんべいを食べて、「びい」と言いたい。

「 ジェノサイド 上 」著:高野 和明 (角川文庫)紹介してくれた、“アイリスさん”のお話を聞いて。

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ジェノサイド=大量虐殺。この言葉を聞いて、最近観た「アクトオブキリング」という映画が連想された。

1965年にインドネシアにて100万人以上が殺害された。その行為に携わった人達を取材し、虐殺の様子を演じてもらうことで成立した、いままでにあまり観たことがないドキュメンタリー映画だ。

1000人以上殺したと語る、アンワルという人物を中心にして描き出される。虐殺した加害者が、虐殺をされた被害者を演じるということで、彼はPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような状態になり良心の呵責が生まれる。人間は実に複雑で、理解しがたい怪奇さを持ち備えている。それを誘発させるものは、抗い難い、社会状況だろう。そこにどのように加担し、振る舞うか。そして、なぜ人間は人間を殺すことが出来るのか。複雑怪奇な現象を考えさせられた。

これが、ジェノサイドで連想したもの。

いま、この本を三分の一ばかり読み進めたのだが、そこで分かったことだがある。ここでのジェノサイド(大量虐殺)を誘発させるものとして、“未知なるウィルス”そして、何かを予見している“ハイズマンレポート”と呼ばれるものがポイントとなりそうだということ。

実際、紹介してくれたアイリスさんも、ハイズマンレポートなる世界の謎を含んだものの存在がキーポイントだと言っていた。さらに、最終的には“誰となんのために戦うのか?”という解決しそうにない壮大なストーリーが展開されるそうだ。

さて、また連想したことについて書きたい。その引き金となったのが、“未知なるウィルス”。これは、1960年代~1970年代にかけて、量産されたディストピアSFで多く描かれてきた。

なぜ、この時代に量産されたのか。

それは当時のアメリカの社会状況が反映している。この時代を知るために過去にさかのぼることが必要だろう。

このことについて、【オバマショック 著:越智道雄・町山智浩 集英社新書(2009)】でくわしく書かれていたので、以下にまとめてみた。

1929年、大恐慌が起こる。その原因として当時のフーヴァー大統領がアダム・スミスの古典的自由主義を信じ市場に一切、介入しなかったことが挙げられる。さらに大恐慌後もそれを信じ「神の見えざる手」が何とかしてくれるだろうと市場を放っておいてさらに悪化してしまった。

そこで登場したのがフランクリン・ルーズベルト大統領。彼はニューディール政策の名のもと、ケインズ理論にもとづいた政府による積極的な市場介入を行った。公共事業による雇用創出、規制強化、福祉拡大。これが後の民主党の基本となり保守からはリベラルと批判されるようになる。

このニューディール体制派は、1960年代終わり頃まで続いたとされている。この体制の末期には、平等に傾きすぎたために健全な競争が行われず社会が停滞していた。行き過ぎた平等主義により人々は働くことに意欲を見出せず共産主義のような社会になってしまったのだ。その上、冷戦での核の恐怖、食糧危機、公害問題と未来に希望を見出せなくなっていた。だから、ディストピア的なSF映画が乱発した。

この作品でも、アメリカが重要なことを握っているようなので、これらの考えも読み解くためのヒントになるだろう。

この作品の著者について調べていたら、面白いエピソードがあったので、書いておこう。著者は、高野和明という人。岡本喜八という映画監督のもと助監督として関わっていたことがあるそうだ。そのエピソードを知って、より一層ワクワクしている。なぜなら、岡本喜八の「殺人狂時代」という映画が好きだから。まだ、わずかしか読んでいないが、「ジェノサイド」は、岡本喜八的な匂いがどことなくする。

https://www.youtube.com/watch?v=MWE4g-We1wQ

アイリスさんにとって、本を読む喜びは、その物語の世界観に没入し気付くと時間を忘れてしまうことが出来るからと言っていた。この作品だったら、僕もそうなることが出来そうだ。

「地道力」著:國分利治 (PHP研究所)紹介してくれた、“松永さん”のお話を聞いて。

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この本は交換して私の手元にやってきたもの。ついに、書かなければならないのか。そう思うと憂鬱である。

なぜ憂鬱か。答えは、簡単だ。こういった本が嫌いだからである。もちろん、読書会のときはそんなことは言えない。せっかく来てくれたかたが、満を持して紹介するときに、

「こういう本嫌いなんですよね~。てへ」

なんて、主催者の私が言ったらその場は一気に凍りつくだろう。だから、言えない。飲み会の席だったら、間違いなく罵詈雑言をその本に浴びせているだろう。それも読んでいないのに。つまり、読まず嫌いということである。

なぜ読まず嫌いか。答えは、簡単だ。こういった本に真実があるとは思えないからだ。もちろん、全てが嘘だとは言えない。著者と実際に親しいわけでもないから何も言えない。手がかりとなるのは、この「地道力」という本のみである。

経営者の出す本は、その企業のプロモーションも兼ねているわけだから、ネガティブな要素は書くわけなんてないだろう。だから、読んだ人が、「凄い、さすが、よっ社長」と、少々昭和的なノリになったが、ヨイショしたくなる要素がてんこ盛りなはずだ。まぁ、あくまでも私的な了見である。

パラパラと本をめくってみると、「成りあがり」を読んで影響を受けたと書かれている。「成りあがり」は、矢沢永吉の自伝的な本だ。当時、この本に多くの人が影響を受け、“成りあがってやる”と息巻く若者のバイブルであった。結果は、「成りあがり」よりも「成りさがり」のほうが圧倒的に多い気がする。ということは、この本は、「成りあがる」ための人のバイブルではなく、結果的には「成りさがる」人のバイブルであったということができる。

この本を紹介してくれた、松永さんは、「地道力」を読んで、当たり前のことを地道に行うことがいかに大切か、知ることが出来たそうだ。それを皮切りに、いろいろとお話ししてくれたが、私にとっては、この本の内容よりも、松永さんが、この本を読んで感じた話のほうが何倍も、興味深く、楽しかった。

だから、このような経営者が書いた(語った)本は、その本を読んだ人がどのように感じ取ったかを聞くに限る。

でも、冒頭に嫌いとか書いてすいません。自分でもなんで書いたか知らなくて、とにかく、頭が真っ白になって・・・・、頭が真っ白になって・・・(ささやき女将より)

「幕が上がる」著:平田オリザ (講談社文庫)紹介した、“みずしま”の感想。

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これで、今回、読書会にて紹介してくれた方の本に対する私なりの極めて個人的な感想は最後になります。いままでは、メモみたいなものしか載せてなかったんですけど、せっかく話してもらって、個人的にも、その後いろいろ考えたりもしたんで、文章としてまとめてみたんですけど、最後のほうは何も思いつかなくって大変でした。

言い訳はさておいて、最後に紹介するのは、自分が持っていった本、「幕が上がる」でございます。

この本の著者はですね、演劇好きの人ならば誰もが知っている、平田オリザ先生でございます。平田先生と言えば、芝居がかった、声を張ったセリフではなく、日常的な普通の会話で演じてもらうという現代口語演劇理論というものを確立したとされる、人なんですよ。

しかも、面白いというか凄いエピソードとして、自宅を改装して、自らの牧場を作り、平田牧場を作ったりもしています。あっ、間違えました、こまばアゴラ劇場というものです。

この平田先生がですね、処女作として書かれた小説がこの「幕が上がる」という本です。数多く戯曲を書かれているのに、「いままで、小説を出していなかったのか?」なんてビックリですよね。最近だと、冠二郎がサバをよんでたっていうニュースぐらいビックリです。

で、この本の内容なんですが、さすが演劇界の大牧場主。高校生の演劇部のお話なんですよ。ちなみにですね、現在これが映画化されております。

主演は、なんといまをときめくアイドル「ももいろクローバーZ」。下に、その映画の動画を貼っておきます。

まぁ、内容はこの動画の通りです。まだ、この映画のほうは観ていないのですが、DVDでいいかなぁなんて思っているんですけどね。

とはいっても、本と映画とでは、内容が変わってくると思うので、私なりに書きましょう。先ほど言ったように、高校生の演劇部のお話なんですが、とにかく登場人物がそれぞれ熱いんです。演劇に対する情熱が。登場人物、全員が松岡修造だと思ってもらって大丈夫ですよ。たぶんね。

主人公の松岡修造、あっ、女子高校生が主人公ですけど、その修造が所属する、学校の演劇部は、最弱なんです。しかしですね、新任の教師として、めちゃくちゃ、演技が上手い「芦田愛菜だよ~」みたいな先生が赴任して、この物語は大きく動き出すんです。

それから、他校の演劇部でエースとして活躍してた、「芦田愛菜だよ~」みたいな演技が上手い生徒も加入して、どんどん物語は盛り上がって行きます。

やっぱり、思春期の高校生なんで、いろんな悩みを抱えています。その悩みを仲間たちと乗り越え、最終的にその演劇部は、どうなったのかという青春物語でございます。

次回の、交換読書会はいつやろうか迷い中です。もうやらないかもしれません。4月か5月にでも。詳細は、交換読書会サイトにて。


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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