「天狼院書店で泉水亭錦魚さんの落語を聞いてきた~そこは、本屋を超える本屋だった~」

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まくら(はじめに)

いまから、6年ほど前の学生時代は現在の生活よりは少しばかり豪華だった。ぼくは、地方の大学に通い下宿していた。都内とは比べ物にならないほど家賃が安く、なおかつ部屋も広く、実家で乗らなくなった車、いや乗らなくなったというより、親を騙して手に入れた車を乗り回していた。

車の中から流れる音は、大学生が好きこのんで聞くような、耳障りなJ-POPではなく、落語が大半を占めていた。友達が同乗した際は、当たり前に落語をかけていた。そんなことを続けるとぼくの車に乗りたがらなくなった。

落語を聞き始めたきっかけは、立川談志という落語家の影響だ。存在は、昔から知っていたが、ひょんなきっかけで、現代落語論を読み好きになり、落語の面白さを知るようになった。ここで、ぼくが持っている談志の本を自慢しておこう。

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こんなにも談志が好きなのだが生で観たのは2011年3月6日の舞台だけである。体調の悪さをニュースなどで聞いていて、舞台上の談志は、苦しそうであまり声は出ずに辛そうではあったが、圧倒的な存在感で観客を惹きつけ魅了していた。まさか、あの舞台が最後のものとなるとは、当時は思ってもいなかった。

談志をきっかけに、落語を知るようになり、他の演者の作品にも興味を持ち聞き出すようになっていった。落語には昔から受け継がれている古典落語と自分で新しいものを作った創作落語がある。その二つをあわせたような、作品もあり、中でも衝撃的だったのが、立川志らくのシネマ落語だった。

ぼくは、映画が好きなので、その好きな映画と落語の組み合わせの妙が実に面白かった。とはいうもののこれは書籍で読んだだけで実際の演目を聞いたことはない。是非、行ってみたいのだがチケットが取れないということや、年に一回なのでうっかり見逃してしまい、なかなかきっかけを掴むことが出来ないでいる。

きっかけというのは、勇気を緩和してくれ、面倒だという思いを排除してくれる作用をもたらす。

 

天狼院書店にて落語を聞く

Twitterのタイムラインをぼんやりとトイレの中で、眺めていると面白い情報が流れてくる。誰かがどうでもいいものを垂れ流しているに過ぎないのだが、たまにそういうことがある。なので、自分自身のものを垂れ流すどうでもいいトイレの中でのTwitterはやめられない。話はそれるが、文章を書いているとどうしても、「う○こ」に関連していることを書きたくなってしまう。それが、ぼくのクソみたいなクセなのだが、これはあくまでもサービス精神における文章であり、それが面白いと自覚して書いているので、決して好きだからということではない。おそらくモーツアルトもそのような思いで、「う○こ」のエピソードが、多く残っているのではないだろうか。つまり、ぼくとモーツアルトは同じであると言いたいのだ。人間は誰しも小さいころは、下の話が好きで・・・・・・、これ以上、駄文を書いていると本筋からずれてしまいそうなので、話を戻そう。

Twitter のタイムラインに、「本屋で落語。落語仲間を増やそう」というようなつぶやきがながれてきた。詳細をみてみると、天狼院書店というところで行われているらしい。

天狼院書店とはいったいどんな本屋なのか。本にフェティッシュな思いを馳せているぼくにとって、とてつもない興味を駆り立てられる本屋だ。調べてみると、「こたつで本が読める」「部活がある」「お客さんの棚がある」など本屋とは思えないことが書かれていた。詳しいことは、是非、天狼院書店のWEBサイトをご覧いただければと思う。

一風変わった本屋さんで、落語を聞くことが出来るというこの上ないイベントなので、参加したいと思ったが、躊躇した。そのイベントは、定期的に開催されているらしい。そういう場合は、ある程度コミュニティが出来ているので、そこに新参者が飛び込むには、勇気がいる。結果的には、参加したのだが、そういう思いにしてくれたきっかけがあったからである。それは、落語を披露してくれるかたが、立川談志の弟子である、立川流泉水亭錦魚という人だからだ。

仕事終わりの金曜日。池袋にある天狼院書店へと向かった。リブロやジュンク堂などがある通りを過ぎて、駅から少し遠めの東通りを進んだ。Charisma.comという最近お気に入りのHIPHOPの曲を聴きながら。

スマホに映し出された地図を片手に、歩いていたがサンシャインビルあたりまで、来てしまった。どうやら、道に迷ったようだ。ヘッドホンから流れる4つ打ちが、余計に焦らせる。改めて、地図を見直し、歩くこと数分。窓に本と書かれたお店を発見。どうやら、ここが天狼院書店らしい。

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階段を上り、中に入ると多くの本たちに出迎えられる。書店としてはかなり小さめだ。奥のほうにはすでに着席し歓談している人がいた。店員らしき人があらわれ、落語で参加したむねを伝え、飲み物を頼むように言われたので、コーヒーを注文し、あまり目立たなそうな端の席へと座った。しばらくすると、コーヒーがやってきて、周りを観察しながら、ブラックで飲み干した。

ぼくの席から、わずか2~3メートルほどのところに座布団が敷かれていた。書店のスペースに無理やりそのためのスペースを作ったというようなセッティングではあったが、そのアットホーム感が、寄席などとは違い、余計にワクワクさせ、来たかいがあったと嬉しくなった。

落語がはじまる

しばらくすると、出囃子がラジカセから鳴り響き、泉水亭錦魚さんが登場。落語でお決まりの枕から入り、最初は、「片棒」という噺がはじまる。

あらすじは、「赤螺屋のケチ兵衛という金持ちの社長さんが、3人の息子のうち誰かに経営を譲ろうと思い立ち、思案する。だが、それぞれの考えが分からないから、ここはひとつ試そうということで、私が死んだらどんな葬式をするかと聞くことに。さて、3人はどんな回答をしたのか・・・・」という噺。

続けて、「唖の釣り」という噺がはじまる。

こちらのあらすじは、「与太郎に釣りのことを馬鹿にされた七兵衛。だが七兵衛は、殺生禁断の池で釣りをして、生計を立てている。そこでは、面白いように鯉が釣れる。そのことをうっかり口にしてしまうと、与太郎もそこで釣りをしたいと言いだし、連れて行かないとばらすと脅される。しかたなく一緒に行く羽目に。だがそこには、見張りの役人がおり果たして無事に帰れるのか・・・・」という噺。

このお噺にも出てくる与太郎は、頭が悪い。いや、頭が悪いと思われがちである。だが、本当は違うのである。そう考えるようになったのは、立川談志の、「新釈落語咄」の中で、書かれているところから起因する。

人間の悪事の最たるものは欲であろう。そしてその欲望、それもありとあらゆる欲望を充たしてやるのが文明だと思い、信じ、正義とか正当とか称して、それに向かって突き進んでいる人間社会に、与太郎は見事なまでに警告を与えている。

しかし、与太郎は馬鹿じゃないから、それを世の文化人という評論家どもの如く、口角泡を飛ばして喋ったりする下品さはない。

ついでにいうと、上品とは欲望に対する行為や動作のスローモーなやつのことをいう・・・。

現代と違ってその昔は、一生懸命に働かないとその日が送れなかったろうに、それなのに与太郎は働かない。時にはおやじに、叔父さんに、「人間は働かなきゃ駄目だ」といわれ、仕方なく出かけるが、当人儲けるきなんざぁサラサラないから、見事に『道具屋』も 『かぼちゃ屋』も『孝行糖』も失敗(しく)じるのは当たり前で、

・・・・・(中略)

「俺は、いえいえ、あたいは、働かないよ、働くということはたいしたことではありませんよ」といっていて、まして与太郎の行為行動は、現代のこの繁栄というか退廃をみたときに、見事なまでに当たっている。

おまけに与太郎は、現代人ではない。落語の世界に昔から住んでいる奴である。そして、その昔とは、「まず人間は働かなくては不可(いけ)ない」というのが生活行動の基本で、そのことは現代とは比べようもなくキツくいわれていたろうに、その時代から与太郎は、働かないし、欲望が少なく生きているのだ。

あたいは働かない、もっとこまかくいうと、働くということを第一義にしない。しないから世間ではあたいのことを馬鹿という。だからといって、なぜ働かないのか、ということを八公や熊公に説明したって判りっこないから、あたいは馬鹿と呼ばれても別に構わない、それはしょせん価値基準がちがうのだから・・・・と、まぁ、こういっているのだ。

・・・・(中略)

与太郎は自分のことを「あたい」という。これも、己の役どころを心得た言い方であるし、全ての行動が一貫しているのは落語界では与太郎をおいてそのうえの人物は居ない。

げに与太郎は人生の基本であり、それは人間のあこがれといっても決してオーバーではない。

引用「新釈落語咄」:中公文庫:立川 談志(1999)

 

こんな与太郎の生きざまに憧れる人は、多いだろう。ぼくもその一人だ。通常の価値基準と外れているということは、KYという言葉が流行る、日本人には難しい行為だろう。だが、与太郎は馬鹿なふりをしてそれをたやすく、成し遂げる。だから、ぼくもこれからは常に馬鹿なふりをして「う○こ」と出来るだけ言っていこうと思う。また、汚いところに終着しそうなので、話を戻したい。

全部で二席の演目を行ってくれた。こんなに身近で観ることはなかったので、顔の表情や、マイクを通さない生の声など、通常では味わえない体験ができ、たっぷりとその時間を堪能した。

それが終わると錦魚さんへの質問タイムとなる。15分ほど、参加者それぞれが質問をした。ぼくは、「なんで、その二席を行ったのですか」という、当たりさわりのないことをお聞きし、あとでもっと違うことを聞けばよかったと後悔した。そして、参加者それぞれが落語歴などを含んだ自己紹介を行った。

ぼくは、立川談志が好きだという情報を伝え、年の瀬には、必ず「芝浜」を聞くようにしていると言ったところ、談志好きの人が一人おり共感してくれた。

その次は、実演の時間となる。これは、参加者が落語を披露するということなのだが、今回は行う人はいなかった。そこで、錦魚さんが、簡単な10秒ほどの小話を教えやってみたい人が演じるということになった。

3名ほどが行い、和気あいあいとなったところで、最後に一席、行ってくれた。演目は「権兵衛狸」。ぼくの好きな噺だったので、なんか得した気分でお開きとなった。

ちなみに、「権兵衛狸」のあらすじは、「床屋の権兵衛さんのところに狸がやってきていたずらをする。その狸を捕まえて、二度と悪さをしないようにと、狸の頭をそり上げて逃がしてやる。数日後、再び狸がやってきて・・・・」という権兵衛さんと狸の噺である。

天狼院書店に期待!!

今回、落語を楽しむことが出来た天狼院書店。落語部ということで月に1回ぐらいのペースで、この活動が行われているらしい。ぼくも、たぶん落語部に入れたと思うので、いや手順通り申請したのだが、まだ何も来てないので入れてないのかもしれない・・・・、が次回は、何か一席覚えてやってみたいと思う。(追記・・・・後日、申請が来て無事に落語部に入れました♪)

また、天狼院書店を訪れて思ったことだが、街の本屋などは、AMAZONに浸食されてしまうまえに、書店+αの何かを模索しなくては生き残れないだろう。対AMAZONの急先鋒としてリアルで楽しめる“本屋を超える本屋”天狼院書店の活動にこれからも期待したい。

と書き終えると、家のチャイムが鳴った。どうやら、AMAZONから注文した本が届いたようだ。

おわり

(天狼院書店のこんな動画があったので)
http://youtu.be/WyVIf38xWuY

 


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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