「アル・カポネ。アメリカの移民問題や禁酒法が生んだ、欲望で民衆を魅了したアンチヒーロー」

公開日: : 最終更新日:2015/05/08 映画, 社会, 自分との対談(日記) , , , , ,

まえおき

マフィアに憧れを持たない男はいない。少なくとも僕の周りには。といってもそれは、そう成りたいという憧れではなく、映画や小説の中で活躍するカッコよさへの憧れだ。

ここで、私が好きなマフィア(ギャング)映画をいくつか挙げておこう。

スカーフェイス」(1983年)

マフィア映画でお馴染みの「ゴッドファーザー」同様アルパチーノ主演の作品。私的にはこちらのほうが好きである。スピーディーな展開と結末の凄まじさ。ファックという言葉の異様な回数の多さは不快どころか爽快な気分になるほど中毒性が高い作品だ。女性にはお勧めしないが、野郎なら観るべきだ。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)

ロバート・デ・ニーロ主演の作品。4時間を超す超大作だが、そんなことは感じさせない。時間軸が行ったり来たり、ミステリー的要素もあるので不思議なマフィア映画だ。もちろん、マフィア映画になくてはならない、残虐描写は凄まじい。だが、どこかアート的な匂いがして、その香ばしさを感じられるいい嗅覚を持った人にはお勧め。

エグザイル/絆」(2006年)

こちらは、香港映画。5人のマフィアが再開してある任務を遂行するのだが、その過程で垣間見える男同士の友情は、日本の漫画が描くやおい的表現が陳腐に思えるほどに、熱くかっこよくていい感じだ。また、最後にある儚さには号泣すること間違いないだろう。

その他にも、あげたい作品は山ほどあるが、今回はこれを主題として書いている訳ではないのでこの辺にしておきたい。これらのギャング映画は現実のモチーフになる人物や出来事をもとに描かれている。それを知っているかいないかで映画の見方はだいぶ変わってくるだろう。

さて、主題は「アル・カポネ」だ。なぜかというと、テレビを録画したHDの容量がいっぱいになってしまい、それを整理するためにいくつか削除しなくてはならない状況だったため、その中でも、文字情報でまとめておいたほうが便利だろうという番組があり、それでこうして書くことにした。

その番組は、NHKで岡田准一がやっていた「ザ・プロファイラー」というものだ。この番組では、ある歴史上の人物の生涯に焦点を当てて解説していくというもの。そこで取り上げられていたのが「アル・カポネ」。

ここから先は、その番組からの情報を元にまとめたものである。

暴力性が潜んだ少年の心

300件。これは、生涯で殺しを行った件数。アル・カポネとは、そういう人物である。

カポネは、多くのイタリア系移民が住むニューヨークのブルックリン地区で育った。

Al_Capone_mother

父はガブリエーレ・カポネ、母はテレジーナ・カポネ。その四男として生まれたのがアルフォンス・カポネ、通称アル・カポネだ。
父は理容師として、週に10ドル(約2万3000円)稼ぎ、なんとか生活していた。移民してきたときに抱いていたアメリカンドリームなんてものは存在しない。現実はそうだった。多くの移民たちとりわけ、イタリア系移民はみんなそうだった。ここには、アメリカの構造的な移民問題が関係している。

17~18世紀にやってきたイギリスなどからの移民が支配層。19世紀中頃、アイルランドなど西欧からの移民が中間層。最後のイタリアなど南欧、東欧は最下層。という構造だ。

19世紀末から20世紀初頭にやってきたのが、カポネ一家のようなイタリア系移民。彼らは新移民と呼ばれ、邪魔者扱いされ、差別されていた。

この差別や偏見がカポネの原点にある。

小学生時代は、勉学に励みトップクラスの成績だった。理由は簡単だ。勉強して、いい大学に進むことで、いい職に就き、そこから脱出をしたかったからだ。
でも、カポネの心には暴力性が潜んでいた。ある日、友達の家のたらいが盗まれて、それを何とかして欲しいと懇願された。盗んだのはアイルランド系移民。カポネはその人物がいる場所に仲間と出向き、徹底的な暴力で解決する。

ついに学校でもそのような事態になる。日ごろ差別を受けていた先生から理不尽な体罰を振るわれ、とうとう頭にきて殴り返してしまい学校を辞める。こうして、勉強の力でという道は閉ざされる。

学校をやめてすぐは、軍需工場などで真面目に働いていたが、週休わずか3ドル(当時の額で6600円)。そんな中、ジョニー・トーリオ(地元の世話役)の使い走りをすれば一回で5ドル貰えるということを耳にする。あまりの額の違いにいままでの仕事が馬鹿らしくなり、早速それを始める。運んだのは、麻薬や拳銃。つまり、犯罪のための運び屋。トーリオの正体はこの街を取り仕切るギャングのボスだった。

イタリア系のコミュニティの中には“パドローネ”と言われる顔役がいる。金を稼ぎたい奴に仕事を手配する。当時のイタリア系移民がアメリカ社会で生きていくためには、必要な存在であった。

カポネは、トーリオをもう一人の父と慕うようになり、そのもとで地位と信頼を高めていく。用心棒や借金の取り立ても行うようになり、悪の道へと邁進していった。

恋するカポネ

だがそんな彼を恋という魔法が変える。相手は、メアリー・カフリン。お互いに気の合う二人は、結婚をしようとするが、それには結婚許可書が必要だった。相手の両親はアイルランド系で厳格な家系。両親を納得させるためには堅気になるか、トーリオのもとで働くか天秤にかけて、メアリーを選ぶ。そのため、堅気になり建設会社の経理につく。

収入は落ちたが、カポネは有能な社員として働いていた。だが父の死をきっかけとして状況が一変する。

悲しみで気持ちが沈んでいるカポネのもとにシカゴにいるトーリオから連絡が入る。年収2万5000ドル(2500万円)で働かないかと。カポネの父は、働き詰めで治療費も満足に払えなかった。このことに後悔していたこともあり、心を動かさられる。

結局、カポネは会社を辞めトーリオの元へ向かう。この当時のシカゴは、新たな利権を求めてやってきた新移民、つまりイタリア系移民が多く住んでいた。そして行われている商売は、賭博、売春、闇酒ビジネス。地理的環境も功を奏して、カナダから大量のウィスキーが密輸されていた。もちろんこれは、世紀の悪法と名高い禁酒法(1920年)が影響している。禁酒法とは、飲用のための酒の製造・販売・輸送を禁止した法律。そのせいで、闇酒場が横行し、ギャング間で、競争が激化していた。

欲望を利用した抜け目ない戦略

こうした状況の中、カポネは新たな戦略を打つ。シカゴ(郊内)からシセロ(郊外)にビジネスの拠点を移すことだった。このシセロには、東欧系の人が多く住んでいるので、確実に闇酒が売れると踏んでいた。

さらに、ビルをまるごと1つ買い取り、1階が酒場、2階が馬券場、3階が賭博場、4階が売春宿という一大興行闇施設で荒稼ぎした。

また、抜け目のない買収工作で身の回りの安全を確保した。警察はもちろんのこと政治家と癒着し、さらに選挙を操作し、自分のために有利な議員を選出した。他にも、マスコミ対策にも余念がなく、新聞記者がカポネのことを(暴露)書けば、まずは手下が脅し、それでも屈しなければ警察にカポネが乗り込み、記者に金を渡し買収する。それにも屈しなければ、新聞社を丸ごと買い取ったというエピソードもある。

カポネは、民衆に慕われていた。理由は利益を独り占めしていなかったからだ。例えば、一般家庭のガレージを酒の倉庫にして、一般人にもビジネスのチャンスを与え、儲けさせていた。このように、人々の欲望も巧みに利用していた。

こうして、シセロで成功を収め、シカゴでも同様のことを行っていった。カポネは26歳にして、年商約1350億円(現在の価値に換算)。

カポネは、イメージ戦略にも力をいれていた。残された写真の多くは左を向いている。10代の頃に喧嘩でつけられた左頬の傷跡を隠すためであり、市民に優しいイメージを植え付け実業家のように振る舞っていたからだ。

Al_Capone_in_1930
また、家族を愛し、時間があれば家に帰り息子とキャッチボールをしたり、隣近所の人を招いてパスタを作ったり、クリスマスプレゼントを学校に生徒や教師に配り周りの人に慕われていた。

だが、彼はマフィア。巨大な利権をめぐりシカゴでは抗争が繰り広げられ、宿敵ジョージ・モラン(アイルランド系)から常に命を狙われていた。銃撃や食事に毒を盛られたりして。

カポネが27歳の時、ホテルに1000発もの銃弾を浴びせられた。奇跡的に無事だったがこのとき改めて死の恐怖を知る。この一件以来、過剰な防衛をするようになる。

ボディーガード、最大18人。そして、装甲車なみの特注な愛車。全てが鋼鉄製で、窓の厚さが5センチの鏡。総重量7トン。

だが、悪夢には勝てず、毎晩自分が殺される夢をみた。そんな日々が続き、1927年(28歳)、重大発表を行う。それは、この世界から身を引くという引退宣言だった。

シカゴを離れ、マイアミに家を購入し、穏やかな生活を送っていた。だが、カポネを頼りにする人が様々な相談を持ち掛けた。この当時の様子をカポネはこのように回想している。「一度闇商売に手を染めると、抜けられないようだ。私の好意と金を当てにする厄介な連中からは逃れることは出来ない」

10か月後。再びシカゴに出向いた。それは、ギャングの世界、死が迫る世界に舞い戻ったことを意味する。

血塗られたバレンタインデーから崩壊へ

1929年のバレンタインデー。大規模な抗争がおきる。カポネの部下が、警官に装いモランの部下にだまし討ちを行う。通称「聖バレンタインデーの虐殺」。この事件はマスコミで大々的に報じられて、アメリカ中を恐怖に陥れた。

また、殺されたうちの一人は一般人だったこともあり世間から反感を呼ぶ。

1929年10月、世界恐慌が起きる。だが、カポネは金を稼ぎ優雅な生活を送っていた。それが、民衆から嫉妬をかったこともあるだろう。徐々に民衆の支持も薄れ、シカゴ警察が叛旗を翻し、「街を出なければ逮捕する」とカポネに通告する。

そしてついに連邦政府が逮捕に踏み出した。凄腕が集まったチーム「アンタッチャブル」が結成され、脱税容疑でカポネを捕まえることに成功する。

この時の出来事は、映画にもなっている。(「アンタッチャブル」1987年公開)

カポネは、いつものように陪審員を買収するが、失敗。懲役11年の実刑をくらう。これが決まったとき、カポネは記者に怒鳴り散らした。「偽善者ども、偽善者どもめ。この国はそういう輩がうじゃうじゃいる」

1931年(31歳)、40886番として刑務所に送られる。最終的には脱獄不可能なアルカトラズ刑務所にて刑期が終えるのを待っていた。獄中では、模範囚のように規律を守り真面目に過ごしていたそうだ。

Capone’s_criminal_record_in_1932

1933年12月、禁酒法が廃止。それから6年後の1939年(40歳)の時に出所する。出所後のカポネは、以前のような威厳はなく梅毒に侵され見違えるようなみすぼらしさだった。病状の回復も思わしくなく、出所から8年後、ひっそりと病死する。

おわり

 


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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