漫才の歴史は非常に奥深い~「たけしの“これがホントのニッポン芸能史”」より

公開日: : 最終更新日:2015/06/21 お笑い, 自分との対談(日記) , , , , , , ,

はじめに

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今年の3月にBSプレミアにて『たけしの“これがホントのニッポン芸能史”「漫才」』が放映された。 お正月に放映される「爆笑ヒットパレード」を朝からずっと観ているような少年時代を過ごしていて、“いとしこいし”の存在を知り、中学生のときには、学校で「ゲロゲーロ」と青空球児好児のネタを披露して失笑をかったぐらい漫才が好きな僕にとっては待ってましたというような番組だった。

実際に観てみると、漫才の祖とされる「エンタツ・アチャコ」についてしっかりと触れられていて、それ以上に漫才ブームから一気にスターとなったビートたけし独自の解釈もありとても貴重で非常に楽しいものであった。

そこで、今回はその番組と少しばかり自分なりの編集を付け加えて以下に、まとめてみた。(それから、2015年7月11日に、はこの番組の第2弾として「コント」のことをなんと志村けんを交えて放送されるそうなのでこれは見逃せない!!今回の番組で取り上げられなかった、コント55号について触れそうなので楽しみである)

万歳から漫才へ

万歳というものをご存じだろうか。これは、新年に家の繁盛や長寿を祈る神事として「才蔵」と呼ばれる人物が叩く鼓の音に合わせて「太夫」と呼ばれる人物が身振り手振りを交えて歌うというもの。

これが、漫才の原点と言われている。 この「太夫」と「才蔵」が二人での掛け合いからなぞかけやモノマネなどを行うようになり、より笑いのほうへと傾倒していった。 その当時、活躍していたのが “砂川捨丸・中村春代”である。

紋付き袴で、万歳の衣装を踏襲しているのが分かるだろう。このころは、萬歳とも呼ばれていた。

そして、現在の漫才の祖といっても過言ではないのが「横山エンタツ・花菱アチャコ」だ。その所以は、会話だけで成立した笑い、さらにその中に、「ボケ」と「ツッコミ」という役割が存在したこと。ラジオから人気に火がつき、映画の中でも漫才を披露している。

また、たけし曰く、彼らのネタはとりわけ「早慶戦」という野球のネタは、「アボット・コステロ」の「Who’s On First?」が元だという。つまり、海外の笑いと、昔からの万歳をうまく融合させて誕生したのが漫才なのだ。

ちなみに、エンタツ・アチャコのネタを書いていたのは、英語が堪能な秋田實という作家が書いていた。 だから、たけしが、新説として「漫才はアメリカに影響を受けていた」と掲げている。

漫才ブームより前に人気者!?

その後、漫才は漫才ブームと呼ばれた1980年代初頭の現象を皮切りにアイドル的な人気を得るようになる。

しかし、それより前にアイドル的な人気を得た漫才師がいる。それは、晴乃チック・タックというコンビ。

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「どったの?」「いいじゃないの~」という分かりやすいフレーズとともに人気を博した。1966年にはNHKの紅白歌合戦にもゲストとして出場している。

その背景には、ロカビリーブーム(1960年頃)、青春歌謡ブーム(1970年頃)、その間を埋めるように1965年に登場したのが春乃チックタックだった。そのため、青春歌謡が台頭し始めたころには彼らの人気は下降していった。

これは、私的な意見だが、分かりやすく耳に残るフレーズを発明し人気を得たものの、その後の活躍は思わしくなかったということを考えると一発屋の原点ではないだろうか。

楽器を使った笑い

だが、この「フレーズ」というものは、時として「忘れられないフレーズ」として愛されるようになるジャンルがある。それが、楽器を用いた笑いだ。 解釈によって様々な分け方が出来るかと思うが、番組では以下のようにジャンル分けされていた。

  • 「音曲漫才」 砂川捨丸・中村春代、かしまし娘、内海好江・桂子
  • 「浪曲漫才」 玉川カルテット、宮川左近ショウ
  • 「ボーイズ」 あきれたぼういず、モダンカンカン、横山ホットブラザース

「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」でお馴染みの玉川カルテット。このフレーズで人気を博し、やり続けることで“これがなかったら”というような伝統芸能のような存在になり、いまでも舞台上で盛り上がるネタだそうだ。

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こういった流れにあるのが、“テツandトモ”や“どぶろっく”など。たけし曰く「音ネタははまったら抜け出せない」。それが楽器を用いたお笑いの強みなのだろう。

漫才ブームの原点

漫才が日の目を見るようになった、漫才ブームと呼ばれる現象。いち早く注目を浴びたのが、“横山やすし・きよし”通称、やすきよだ。破天荒な生活をバックに巧みな話術で語る“横山やすし”を“西川きよし”の的確なツッコミで成立させる漫才。みる者を瞬く間に惹きつけた。

そんな土壌が出来上がったころに、フジテレビで「THE MANZAI」という番組がはじまる。 そこで、人気となったのが、“B&B”“ツービート”“紳助・竜介”。

だが、ツービートや紳助・竜介はB&Bなくして存在しなかったといえよう。B&Bが漫才のスタイルを変えた。ここで、以下をご覧頂きたい。

【漫才のネタ1分間の言葉数】

エンタツ・アチャコ・・・500字

ダイマルラケット・・・483字

いとしこいし・・・490字

てんやわんや・・・492字

やすしきよし・・・584字

B&B・・・686字

ツービート・・・637字

※以下も参考に

ウーマンラッシュアワー・・・727字

華丸大吉・・・437字

(「たけしの“これがホントのニッポン芸能史”」のデータより引用)

B&Bは、これまでのお互いの掛け合いではなく、片方がまくしたてるように喋り、ボケまくるというスタイルだった。これに影響を受けたのが、ツービートであり、紳助・竜介だったのだ。

そんな、B&Bも影響を受けた人物がいる。それは“浮世亭ケンケン・てるてる”という漫才師だ。彼らの掛け合いを無視し、まくしたてるような漫才をみて衝撃を受けたB&Bの島田洋七はこのスタイルで自分も勝負しようと決意したそうだ。

番組内でも語られていたが、“ケンケン・てるてる”が世に出なかったからこそB&Bが新しいスタイルといわれ人気を得ることが出来た。

もう少し、時代が早ければ漫才の歴史も少しばかり変わっていたのかもしれない。 そういった漫才師は他にもいる。

それは“Wヤング”。この当時たけしが唯一面白いと感じた漫才師だそうだ。彼らのスタイルは、笑い飯のような「ボケとツッコミが入れ替わる」スタイルでその斬新さから多くの漫才師が憧れる存在だった。 しかし、漫才ブームが起こる約1年ほど前に、借金苦によりWヤングのメンバー中田治雄が自殺してしまった。

番組中にたけしが「漫才ブームで活躍してたら借金なんてすぐに返せたのに」と語っていたのが印象的だった。

顔の面白いしゃべくり漫才

漫才ブームよりも爆発的なものではなかったが、これより前の、1962年~1970年にかけて起った、演芸ブームと呼ばれる現象があった。

そこで活躍していたのが、獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビア・トップ・ライト、夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケットだ。彼らは、しゃべくり漫才と呼ばれるジャンルだが、たけし曰く「しゃべくり漫才の巨星は見た目が面白い」らしい。

この中で、私が好きなのは、中田ダイマル・ラケットである。もちろん生のネタをみたことはないが、彼らのネタみたさに学生時代は図書館という図書館を歩き回ってVHSのビデオを探し求めていたぐらいだ。

彼らを立川談志(たけしも憧れ尊敬していた落語家)は、自身の著書「談志百選」の中でこう称している。

「エンタツ・アチャコ」と「ダイマル・ラケット」、この二本、この二組が家元にとって漫才の全てである。他にも結構な漫才は多くいた。曰く「十返舎亀造・菊次」「いとし・こいし」「千太・万吉」「お浜・小浜」、全盛の「トップ・ライト」、若き「千里・万理」等々・・・・・。 けど、漫才の内容、会話のテンポ、呼吸・・・・ここまでは「いとし・こいし」で充分であるが、ダイマルさんにはこれに狂気が加わった。 喋るだけ喋った、その余韻に、“秋がきたのによォー”、と全く関係なくうたうのだから、家元の好む、イリュージョンの世界がそこに出現するし、引力のネタなんざァ、家元同感。つまり「引力なんて信用しない」あんなもの本当は無い、というダイマルさんの発想である。

お笑い第三世代

漫才(お笑い)の世界には、第一次、第二次、第三次とそれぞれブームがある。

  • 第一次が、先ほどあげたダイマル・ラケットを筆頭とした1960年代中期
  • 第二次が、漫才ブームで盛り上がった1980年代初期
  • 第三次が、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンなどが活躍した1980年代後期

番組では、第三次お笑いブーム以降(第四次、第五次)は主に触れられていないが、たけし曰く彼らの手本は「テレビの中のバンドマン」だそうだ。 第二次お笑いブームまでは、師匠につき学ぶことで笑いを勉強していたが、それ以降の世代はNSCといったような学校ができたことで、師匠に学ぶということはなかった。

そんな中で、彼らが笑いに触れることができたものが、テレビの中で活躍する“ドリフターズ”や“クレイジーキャッツ”といったグループだった。(後に「ひょうきん族」なども)

漫才は、時代の流れとともに進化し、いかに笑わせるかということをとことん追求し続けている演芸だろう。そして、その時代ごとに主流と呼ばれるスタイルが確立している。

漫才ブームのB&Bのように片方がまくし立て笑いをとるスタイルから、ダウンタウンのように独自の着眼点から笑わせるもの、それらを経て、「M-1グランプリ」のようなテレビ漫才に特化した極短いネタ時間内に笑いをとるため三秒に一回ボケて笑いをとるというようなスタイル、様々な変遷がある。

だが、これらは、脈々と受け継がれている漫才という血筋なくして成立しない。今後、漫才がどのように進化していくか楽しみだ。

女性漫才師の活躍

最後に、女性漫才師について触れたい。中でも、伝説的なコンビとして語り継がれているのが“海原千里・万里”だ。たけしも女性漫才師の中で、唯一認めていたコンビとしてあげていた。とにかく器用でなんでもこなす“千里”。

その凄さは後に大阪を席巻することになる“上沼恵美子”だといわれれば納得するだろう。

また、番組では取り上げられていなかったが、女性漫才師として結成してから解散することもなく舞台に立ち続け観客を笑わせていた、“今いくよ・くるよ”の動画を載せて締めたい。

どやさ!!

 


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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