「最近話題のキューバ、そういえば!!と思いだして、チェ・ゲバラのお話」

 

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まくら(はじめに)

2014年12月17日に、オバマ大統領がキューバとの国交正常化に向けて動き出すとの発表があった。

それを受けて、そういえば、チェ・ゲバラ(キューバ革命の立役者の一人)について、書いたやつがあったなぁと思いだして、引っ張り出してきた。

そもそも、ゲバラに興味を持つようになったのは、「チェ28歳の革命」「39歳別れの手紙」という映画を観てからだ。

アイコンとしてゲバラの顔はなんとなく知っていたが、彼がどんなことをしたのかは全く知らなかった。

だが、映画を観て彼の生きざまを知ると、こんなかっこいい男がいたのかと思うようになり、より詳しく知りたくなった。そこで、何冊か本を購入しゲバラについて学んだ。それが、大学生の頃の話なので、いまから約6年ぐらい前のことだ。それから、自分の中でゲバラのことを、一年に一回ぐらいは、ふと思い出すようになる。今年は、もうすぐで終わりという年の瀬にふとやってきた。

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(↑持っているゲバラの本)

ゲバラの経歴

彼の経歴を簡単にまとめると、以下の通りだ。

1928年、彼は産まれる。2歳のときに喘息の発作に襲われ今後、彼の生涯に付きまとうことになる

1947年、ブエノスアイレス大学医学部に入学する。この大学在学中の1951年にグラナドスと共にオートバイで国外旅行に出発。約半年以上にもわたるこの旅が、彼を革命への道に進める決心をあたえることになった。

1953年、大学を卒業し博士号を取得。その後、グラナドスが働いている病院を目指し旅を始める。この旅を出発して再び故国アルゼンチンに訪れることになるのは、10年後のわずか4時間だけであることはまだこの頃の彼は想像もしていなかっただろう。それから、この年の12月に最初の妻となるイルダ・ガデアと知り合う。この妻により本格的に共産主義に志したといえる。

1955年、カストロと出会い、夜が明けるまで語り合った後にキューバ遠征に参加することを決心する。

1956年、10人乗りのヨット、グラマン号に85人乗船し、キューバに向けて出発。チェは軍医という名目で参加。上陸に成功した反乱軍の生存者はわずか17名。

1957年、第二部隊が編成され司令官に任命され少佐となる。この頃にすでに周りからの信頼を受けていたことが分かる。

1959年、バチスタ大統領ハバナから国外逃亡。キューバ革命が達成する。同士だったアレイダ・マルチと結婚する。

1959年~1965年、キューバの復興のため働く。1959年には日本にも来日している。

1965年、コンゴでの革命に参加するが1年後ハバナに戻る。

1966年~1967年、ボリビアでの革命に参加するが政府軍と交戦し、重傷を負ってとらえられ死亡。

1997年、イゲラ村の軍用滑走路下からチェら7名の遺骨が発見される。

ゲバラという男

チェ・ゲバラという男は、革命のために産まれて、革命によって死んだ。世界中に数多くの革命家と呼ばれる人物はいるが、彼はその中でも本当の革命家といっていいだろう。

なぜなら、革命達成後も約束された地位につかずに生涯を革命に捧げたからだ。

彼は人間的にも非常に優れた人物で、革命のために政府軍とのゲリラ中にもかかわらず、本を読んで日々勉強していた。

また、読み書きが出来ない隊員たちにたいしても絶えず指導していたし、一人ひとりの名前もすべて把握していたらしい。

彼は利己的ではなく常に利他的に動いていた。

その行為が人望と信頼を呼び、名も知らない軍医から少佐(事実上のカストロについで№2の地位)になることができたのだろう。

ただ、忘れてはいけないのは、ゲバラが革命をするために何千いや何万という人を殺してきた殺人者であるということ。

ここでチャップリンの「殺人狂時代」の戦争を批判的に指摘した名言を引用しよう。「一人を殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化される」

しかし、ぼくがこの時代のキューバに生まれていたら、ゲバラと一緒に戦っていただろう。半植民地的に扱われ、独裁者とつるんでアメリカ資本が介入し、平民は十分な生活が出来ていないというアメリカ帝国主義による構造的暴力。これに怒りの感情が芽生えるのは必然的だ。

ただ、ゲバラの行為が本当に正しかったのかさらにたえず考察していかなければならないだろう。

最後にキューバ革命は成功したのか。

1959年に革命が達成し、カストロはアメリカと友好的な関係を築くことで、国民を豊かにすることを夢見た。

はじめのうちは、農地改革、学校や施設の復興により確実に良い方向に向かっていると思われた。しかし、上手くはいかなかった。

アメリカと関係が途中でこじれ、砂糖の輸入停止という経済制裁をくらってしまう。こうなったことで、ソ連に頼らざる得なくなった。そして、1961年にアメリカから国交断絶との通達を受ける。そして、1962年のキューバ危機などから、半永久的にキューバとの貿易をアメリカは行わない、経済制裁を実行(現在までそのような状況)。そんな状況がどんどん国民の生活を苦しくし、さらに冷戦の終結と共にソ連が崩壊すると頼れる国がなくなり、ますます経済は悪化。

現在では、観光という新しい産業に力をいれ徐々に回復しているようだが、キューバ革命の肝となっていた外国資本が次々と介入しているようで、それが貧富の格差を生み、生活水準の低い国民はアメリカへの移住を希望している状態だ。

この状況を、ゲバラがみていたらどのように思うのだろうか。果たして、革命は成功だったのか。

最後に、革命とはなんなのか。

ゲバラが言うには革命とは「勝利か死」である。

最後にゲバラが若かりし頃の映画を紹介したい。

この映画は、「モーターサイクル・ダイアリーズ」監督ウォルター・サレス。

学生時代の友達とバイクに乗って旅をするというロードムービーだが、そんな、ほのぼのとしたストーリーの中に、ゲバラがなぜ革命をすることになったのかが垣間見える。

おわり

 


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
みずしままさゆき を著作者とするこの 作品 は クリエイティブ・コモンズの 表示 4.0 国際 ライセンスで提供されています。

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